Nepal Annapurna Tour Report
2003年9月13日〜9月21日
![]() ヒマラヤの迫力もスゴイけど、やっぱり人に魅かれているんじゃないかと思う。日本人とちょっと似た顔の人がいて、全然違うインド系の彫りの深い人がいて。いろんな人たちが一緒くたになりつつも、棲み分けている。そして日本では強く意識することのなかった宗教というものが、あちらこちらに溢れていたりして。 で、MTB。MTBは道があってこそで、道は生活があってこそ。ということで、登山などよりもとっても人臭い旅になります。ニッポンでシングルトラックというと、かつて生活で使われていた道、ということが多いのですが、ここネパールではシングルトラックが現役。途中、荷物を運ぶロバの隊列の渋滞に会いながら、ポーターたちの重い荷物に驚きながら、そして子供たちの「ナマステ〜ッ」という声に応えながらの日々でした。 それにしてもあの激変する風景といったら・・・。標高2,700m付近は森林限界を超えた荒涼とした砂漠。そして5日間かけて下っていくうちに、徐々に草が生え、木が出てきてやがて森になり、そして最後はサボテンやバナナが繁る亜熱帯へと突入でした。途中、雨期明けが例年よりも遅く、道が崩れていたり、ぬかるみが多かったために、MTBを担ぐことも多かったですが“ひとつのチーム”という感じで協力してMTBを運んだり、ってなこともありました。「自転車って乗るものだった」という名言もありました!荷物を預けたポーターが夜になっても到着できず、着の身着のまま眠るということもありましたが、翌朝にポーターが到着したときはみんなで彼らのことを心配したり、ってなこともありました。温泉では、日暮れになってお掃除オジサンに追い出されるまで浸かっていたのも、ボクたち一行でした。 ネパール全土でのストのために、3日間ポカラで停滞となったときも、クルマのいない道路をわがもの顔でサイクリングしたり、ホテルのプールで遊んだり、チベット難民キャンプに繰り出して、両手両足にアクセサリーをつけて帰ってきたりと、ホントみなさんそれぞれにネパールを楽しんでしまっていました。そしてナマステの次に覚えたネパール語は、間違いなく“チソ・ビアル(冷えたビール!)”でした。それにしてもよく笑いましたね。腹筋が痛くなるほど笑い転げたのは、久しぶりのことでした。 ナマステ〜 (合掌!) |
カトマンズ空港でみなさんをお出迎え。カタというシルクの布をかけ(チベットの習慣です)、歓迎の気持ちを込めました 朝一番のフライトの窓からは、 ヒマラヤがドド〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン! これはマチャプチャレ(6998m)。ど迫力! |
ポカラで一泊後、国内線を盛り継ぎ、さらに山奥を目指します 空港前のロッジで、MTBを組み上げます |
ナマステ〜! ところどころのチェックポストのオジサンも、とってもフレンドリーでした |
ジョムソンのロッジをベースに、チベット高原まで続く古くからの交易路を往復します |
何気ないワンシーンがとってもカッコよいのです |
砂漠の中にもやはり食べ物が・・・。ガイドが食べられる木の実について教えてくれます |
間もなく、村対抗の弓矢大会があるということ、道中あちこちで、こんな風景が見られました |
谷一面のソバの花。そんな中を、夕日に照らされながら走りました |